2021/12/25-2021/12/26

今年の労働よ、アデュー!

金曜に今年の労働をすべて終えた。終えたというより終えたことにした。というほうが正しいかもしれない。そして連休の初日の土曜日は緩やかに始まった。朝は割と遅く起きた。そこから録画していた番組などを観て、金曜の夜に作っていた「スパイスおでん」の2日目のおでんを食った。初日は「あんまり…」という感じだったが、 2日目はいろいろ味が馴染んだのか美味であった。ただスパイス感というよりは出汁が前に出ている感じ。これだと普通のおでんでいいような。と思うがチャレンジすることが大事なのだと思うことにする。

ループの変拍子も地獄

14時からは明日のライブに向けて練習。ほどほどに調整が完了したと思う。新曲もなんとかなりそうだ。新曲は8/8のループに5/8の変拍子を入れたフレーズを自力で弾くことにしたのだけれども、ループでの変拍子はなかなかピリつく。なぜこんなことを思いつくのみならず実行するのか?これはジャニーズのコンサートでバイクの音鳴らしたり、大麻で捕まったりしたメンバーがいたグループが歌っていた「いつもギリギリで生きていたいからあぁあ」に由来するものだろうと考えている。

練習に行く前から気づいていたのだが、無茶寒い。抜群に寒い。帰宅後は布団を被りもぞもぞしていた。

めちゃ雪降るじゃん

布団でもぞもぞしていると日曜になった。日曜は8時半の新幹線に乗り福岡へ。日曜の朝は雪がバチバチに降っていた。

広島駅に向かう市電でなかなかナイスなヘイトを発見した。

水を飲むのも大変ですね。運転手さん。

広島駅に着いてsuicaを1000円ほどチャージして新幹線乗り場へ。数分待ってたら新幹線到着。90分程度漫画を読んだり、本を読んだりしていると着いた。博多駅。

わたるをずっとピュンしている

博多駅を出てバス停まで歩いていると、尋常でない冷たさのビル風に晒された。「これは…凍死できるぞ。博多の駅の目の前で…」と思いながらバスを待っていたのだが、ちょっとビルを避けるとそんなに寒くなくなることに気づいてちょっと横に移動したら、どこからともなくギターを持った青年が現れた。神棚の戸高くんであった。本来であれば、ここで「長い間、わたるがピュンを借りててごめんね。ありがとう」と返したいところではあるものの、数十冊の本を持って更に15キロ程度の機材を持ってくるということはなかなかに難しく、わたるがピュンは早々に今回の返却は諦めていたので、わたるがピュンの話になったら謝らなくてはな。と思ったのもつかの間、挨拶もそこそこにバスが到着したのでいそいそと乗り込んだ。バス停4つくらい進んだところで下車。 Uteroに向かう。3分程度で Uteroに到着。

福岡Utero(清川?薬院?)

2年ぶりくらい?だろうか久しぶりにUteroに足を踏み入れた。Uteroはpanic smile、百蚊、ナルコレプシンと憧れのバンドのみなさんで作ってるライブハウスなのでいつも気合が入る。気合が入るというよりただただ緊張する。早々に荷物を降ろして煙草を吸う。 Uteroも屋内ではタバコは吸えないルールになっていた。

そしてリハ。変拍子の曲もあるのでドラムと目が合う位置のほうがよいので、ドラムの位置を移動させてもらったりとスタッフのみなさんと中西くんにいろいろ迷惑をかけながら準備。おかげさまで万端のリハができた。ありがたい。ありがたい。

うどん!ウエスト!

リハのあと、ウエストへ。2年ぶりくらいに食べたけど、美味いのはもちろん値段と量が合わない。600円程度のうどんとかき揚げ丼のセットであれば、広島であればかき揚げ丼は記載がある無し問わず、少なめのミニ的な丼だと思うのだけれどもウエストはうどんも丼もそれぞれ一人前であった。ボリューム抜群である。

せっかくなので、ごぼう天もプラスしました。

余韻嫋嫋

満腹で会場に戻るとスタート直前であった。今回呼んでくれた神棚onthewallからイベントがスタート。gt/voのおおつぼくんがMCで滑らかに滑っておられ、髪型も相まって「狩野英孝みたいだな」と思っていた。自主イベントということもあり、神棚onthewallは仕上げてきており、良いライブをしていたなぁ。

神棚onthewall

次はウサギ。50分という持ち時間があったのだけれども、上記の通り緊張しており気合も入っていたので、一生懸命やっていたら半分手前くらいで声が枯れた。これまでずっとduoでしてきてループとズレて聴けたもんじゃない。という地獄は何度か訪問したことがあったのだけれども、声枯れは初訪問である。さて、どうしよう。と思ったものの声の復調はなかなか難しい。ま、でもやるしかないのでやってたら後半部分ではなんか少し声が元に戻ってきた。運がいいのか、悪いのか?なんとか予定時間を演奏して終了。なぜ新しい地獄の訪問を久しぶりに訪れた福岡でするのか?うーむ。日頃の行いに何か問題でもあるのだろうか?

最後はthe camps何度か対バンしたことがあったけど、良きポップソング。ライブも達者な感じ。特に歌詞が弱い感じがしながらも、「お前ら今にみとれよ」感がある雰囲気で👍いつも腰が低くていつも笑顔の良い人なんだけど、目は笑ってないぜ。受けた屈辱は覚えてるからな。って感じとでも言えばいいのか。とても人間力のあるバンドさんだな。と思って観ていた。

the camps

加藤小判のカレー

ライブ終了後は隣の加藤小判にてカレー。美味い。福本さんのカレーはココナッツミルクが入っているように感じていたけれども、ココナッツミルクは入っていないらしい。理由は「ココナッツミルクが苦手な人もいるんで」とのこと。それをアイデアでカバー。素晴らしいな。と思った。

加藤小判のトムヤムガイカレー

長浜御殿!

カレーを喰った後にthe campsのやすますさんおすすめのラーメン屋へ車で連れて行ってもらった。楽器が重いのでありがたい!戸高君とも連れ立って4人でラーメン。ラーメンのほかに豚足も美味いとのことだったので、豚足も注文した。美味い。ラーメンもこれぞ豚骨というラーメンで最高。ただ小といえどもカレーを食べており、尚且つその前にうどんとかき揚げ丼も食していたのでラーメンはすぐに満腹になったけど美味かったのでズルズル最後まで啜った。豚足も最高に美味かったのだが、これはみんなに手伝ってもらって食った。豚足にも酢が効いてたし、酢モツもあるし、福岡のつまみって酢を使ったものが割とポピュラーなのかな?とか思っていた。

長浜御殿 住吉店

やすコレ(やすますコレクション)

ラーメンを食いながら、やすますさんのスマホのラーメンフォルダ、カレーフォルダを放出してもらって福岡のラーメン、カレー情報を教えていただいた。1月9日にも福岡に行くのでその際に役立てたいな。と思っている。
・クボカリー
・モリトネリ
・今浪うどん
・万龍

ラーメン食い終わったあと、やすますさんが博多駅まで送ってくれた。ありがたい。凍てつく寒さだったので本当に助かりました。そういえば…っていう感じで地下鉄工事の際に陥没したところの話なんかをしてたら博多駅に到着。戸高君とやすますさんによくよくお礼を言ってお別れ。ありがとうございました!

広島へ

帰りの新幹線は家人があっという間に寝てしまったので、なんとか起きておかなくては!と起きていたのだけれども新岩国で限界を迎え、寝ている家人を起こして、「交代してくれ。次は広島だ」と言い残し目を閉じたと思ったら2秒で広島に着いていた。

2021/12/18-2021/12/19

金曜の夜に家人と玉ねぎ10数個を二つのフライパンで1時間程度炒め上げて冷蔵していたものを油を充分に敷き、シード系のスパイスをいくつか入れ温めたフライパンに戻した。
そう、今日は本と自由でカレーを販売する日である。思えば10月の終わり頃、道端で本と自由の青山さんに出くわした。そこで「今度カレーと弾き語りのイベントをしよう」と相成りFacebookで連絡先を交換した。
その時はお互いにカレーを作ってあいがけにしようと言っていた。

それから1か月程度、特に何もなかった。12月の初めにまた青山さんと話す機会があり、一気に話を進めた。青山さんのカレーは頓挫してしまった。自分も弾き語りは頓挫しようかと思った。そして、今週「カレーと弾き語りのイベント」が開催された。みなさん、程よく僕を勘違いをしていた。僕がカレーを作り、僕が歌を歌うだけでは集客は0なのに、「たくさん人がくる」と勘違いをされていた。申し訳ない。僕も直接は誰にも連絡しておらず、SNSで告知を数度しただけであった。もっと人心掌握したい。黒魔術でも覚えて人を操りたい。とか思っていた。
集客に不安を感じながらスタートしたのだが、カレーは程々に売れてよかった。 wave of mutilation(波)のメンバーが来店したのには驚いた。ぶーぶの息子までいた。大きかった。泣くこともなく堂々と父や母の膝元に鎮座していた。弾き語りも聴いてくれる人がいて何より。よかった。よかった。
カレーを売りながら、いろんな人と話ができたのもよかった。モモさんに急にアート系ビジネスの話をしてみたり、ウサギの芋臭さをアートの力でなんとかできないか?などお釈迦様でも匙を投げそうな難題をぶつけてみたりしていた。モモさんはちゃんと話を聞いてくれる。いい人だ。23時ごろ帰宅。帰宅後、両足の太ももが非常に痺れていることに気づく。いやぁ、疲れていただんだなぁ。と思うと共に就寝。

日曜は起床後、そそくさと準備。家人もソソソソと準備。8時半に家を出る。今回、所属している登山部隊とは別動隊として初心者向け登山として家人と共に出発。本隊は7時から海田方面の山から府中の山へ5時間コースで登山を決行している。別動隊の3家庭は10時に府中の高尾山という山の駐車場に集合して高尾山のみ登るという予定だったのだが、1家庭は嫁の体調不良で、もう1家庭は地元が大雪でキャンセル。結果、家人と二人で登山を決行することと相成った。家人は中学の頃、体育でバスケをした際、味方のパスで指を骨折するという自他共に認める運動音痴なので、登山をすることにも渋る。渋る。その渋る家人と共に初めての登山。

登山口

登山を始めると、割と良いスピードで登っていく家人。もしかしたら登山に向いているのか?と思いきや登り始め6分で休憩を所望してきた。

細かな休憩を挟み、登る。登る。

所望されるまま、休憩をとり登山を続けると途中から慣れてきたのかグイグイと登っていく家人。ただ景色がきれいな場所に出ても景色を楽しむ余裕はなく、ただただ「頂上はまだか?」と登山の終わりを気にしていた。

よい景色であった。

登り始めて1時間半程度で何かの仏像のとこに到着。ここが頂上かと思いきや違うらしい。

これの裏が
これ

頂上を目指すべく家人と共に歩き始めると目の前に岩と紐が現れた。紐を掴み、岩を登るようだ。家人のテンションは激落ち。家人にそこで待つように言って紐を掴んで上まで登ってみた。そこが頂上であれば危なそうだけど頑張ってもらおうかと思ったのだけれども登ったところは三角点とか記載があるだけで頂上ではなかった。「これは…」と思い、また岩を下りて家人に「これ登っても頂上じゃないからここで帰ってもいいけどどうする?」と問うたら即答で「終了です」との返答。下山開始。

下山時の家人はとても元気であった。まさに開放された感じで登りのときにはあれほど興味を示さなかった景色に対して「あー、ええ景色や。綺麗やな」と感動を口にしていた。そして登りのときには決してみせなかった元気が下山時の顔には元気が覗いていた。

交通標語がいいね。

下山後、しばらく待って本隊と合流。本隊はすごいスピードで山を降りてきた。多分トレイルランと変わらぬスピードだと思う。僕らが1時間半かけて登った道のりを下りといえども25分程度で降りてきた。しかし本隊は4名のはずだったのだが、降りてきたのは2人であった。あとの2人を待つこと30分。漸く下りてきたと思ったら隊員の1名が途中足を挫いていた模様。根性のある隊員なので歩いて降りてきていたが挫いた足を見ると「これは腫れてますね。かなり」というくらいの腫れであった。結果、週明けに病院にいくはめになり靭帯を損傷していたらしい。これで今年の登山は終了。来年もいくつかの山を登れたらよいな。

2021/12/11-2021/12/12

土曜は久しぶりに土曜出勤。と言っても午前中のみ同僚の手伝いで東区の体育館へ。少年少女のバレーボール大会をぼーっと見ていた。しかしながら、体育館というものに久しぶりに訪れたので忘れていたのだが、体育館は上履き必須。もちろん忘れたので、靴下を通して直接床の冷気が身体に届く。芯から冷える。

バレーボール大会はコロナ禍で大会が軒並み中止になった子供たちのために個人主催で行われた大会でなかなかにハートウォーミング。見ているとチーム毎に男女混合、身長120センチくらいの小1か小2の女の子が試合に出てるチームもあって多種多様。久しぶりの試合という雰囲気を楽しんでたら良いなぁ。と思いながら観てた。

午前中で手伝いを終え、帰宅。家の近くのスーパードラッグで日清焼きそば(袋麺)を購入。昼食に食う。

家人は「あまり喰うな。夜、いいもんがでるはずだ」と言っていた。

そう、本日は広島じゃ割という妙に割引率がいいサイトで予約した宮島の宿に宿泊するのだ。宮島は先々週弥山や周辺の山に登ったばっかりなので個人的に新鮮味はないものの家人は久しぶりらしく静かに密かに楽しみにしていた模様。15時くらいに家を出発。

道中は延々kindle unlimitedで「シバトラ」を読んでいた。サイコメトラーにしても、シバトラにしても結構エグい描写が出てくるなぁ。と思いながら読んでいたら、いつの間にやら宮島口到着。suicaで支払う。家人は久しぶりの宮島口らしく土産物屋をふわっと見て回り、「ふーん」という感じでフェリーの時刻を確認していた。確認するまでもなく、土曜のフェリーは5分おきくらいに来るのだが、家人はいそいそと時刻を確認していた。

宮島

即乗船し、suicaで宮島へ。宮島についてからピッってする機械が設置してあって宮島に着くまでは気分は軽い無賃乗車の気分であった。宮島につくと家人の静かなテンションが少し上がり「おい、野良の鹿どこよ?野良鹿。」と鹿を所望。見渡したら1匹いたので「あそこにおるで」と伝えたら、「おぉ」と言っていた。

野良

宿までの道中、結構な数の野良の鹿、野良鹿を見かけたのだけれども家人は「野良や!野良やで!」とご機嫌で写真などを撮っていた。連れてきてよかったな。と思う。

ひとしきり野良を楽しんだ後、「おい、鳥居はどのへんだ?」と家人がいうので「鳥居はあれや」と工事中の鳥居を教えてやったら、「工事中じゃねぇか。残念観光地だな。こりゃ」みたいなことを言って残念がっていたけれども、野良の鹿、野良鹿の子供を発見すると「おぉ、ケツが可愛いのぅ。ケツが」と鳥居のことは速攻で忘れていたご様子だった。

途中、商店街みたいなところを通ってみたのだけれども最近あまり街とかにも出ないせいなのか人酔いをしてしまった。1キロちょっと歩いて漸く宿に到着。宿の近くに大きい紅葉してる木があった。そして既に野良の鹿は見飽きるくらい見た。

チェックインしていると宿の女将さんから「今日、サプライズで20時から花火が上がりますよ」と教えてもらった。「ここで教えてしまったらサプライズではないのでは?」と思いつつ、「そうなんですか。」と反応をしたら、「今日泊まってるお客さんみなさん花火のサプライズをご存じで、はじめて新鮮な反応をいただけました」ととても満足気なご様子で良かったな。と思いつつ、もはやそれはサプライズと呼んではいけないのでは?という疑問が頭をもたげた。チェックインを済ますと晩飯までひたすら暇を持て余し、自分は「シバトラ」を読み、家人はすぎやまこういちの追悼番組を見ていた。ここでちょっと散歩でも…というのが正しい観光地の楽しみ方だと思うのだけれども、二人してもう結構歩いたし、だりーし、風呂に今から入るのも面倒くさいし、という堕落マインド全開だったため、ただただ夕食は19時からと言われた19時を心待ちにしていた。

そして19時。降りて飯がスタート。コース的な感じで喰ったら次の料理が出てくる感じ。一気に食うのではなく少しづつ時間を置いて喰うと胃にしっかり食い物が溜まるのか?そんなに量がなくても満腹になる。コースの途中で1時間を経過し、宿泊客全員でわらわらと花火を観に移動。近くの橋を渡って砂浜の近くから花火が上がるのを待つ。20時過ぎに花火がスタート。

花火
花火

場所がよかったのか、花火が真上から降り注ぐような感じで花火を観ることができた。家人は非常に満足気であった。せっかくなので写真を撮ろうと一生懸命写真を撮っていたのだけれど、うまく撮れない。途中からせっかくなので生の花火を楽しまなくては!とシャッターを適当に押しながら生の花火を目で楽しんだ。後から撮った写真を確認すると、明らかに生で花火を観ながら適当に撮った写真のほうが良いものが多かった。往々にして人生ってこういうことあるよね。って思いながら宿に戻る。

宿でコースの続きを食べる。夕食後は家人はずっと細かくて伝わらない物まね選手権を観ていた。自分は「シバトラ」を読んでいた。本当に観光に向いていないな。と書きながら改めて思うね。敷布団が柔らかい布団に転がっていつの間にか就寝。

なんか寝つきが悪くて2回くらい起きた。朝食は7時からだったので、7時くらいに下に降りたらなかなかの量であった。全てごはんと一緒に食べたら美味しそうなおかずばかりでついつい茶碗3杯の飯を食う。家人も2杯食っていた。満足度の高い朝食だったのだが、そのあとしばらく動けないといった感じだった。

散歩
自殺するジュゴン
こんにちわ

ワンピースかなんかのアニメを観ながら腹を休め、出発。家人が「せっかくなので。」とのことでここではじめて宮島の散歩をはじめた。しかし宿の周囲をちょろっと散歩し、家人は即特典でもらった無料のもみじ饅頭をもらいにいこうと言い始めた。地図を入念に見て迷うことなくもみじ饅頭をゲット。もう貰えるものもないので、フェリー乗り場へせこせこ歩き、乗船。また市電に乗って帰宅。

散歩

さっきまであれほど腹がパンパンだったのに、帰り際に「前、食ったラーメン屋の隣も人が結構並んでた行列店だったので、一回行ってみたい」という企画をここで実施。天満町からその店に向かった。

その店の人気メニューはちゃんぽんであった。ちゃんぽんは行列ができるほどの味わいで美味かった。ただ朝飯はまだしっかり臓腑の奥のほうに鎮座していた。空腹で行ったらもっと美味いだろうな。と思う。

家人はちゃんぽんではなくミニラーメン(豚骨)を食っていたが、「最近食ったラーメンで一番うめぇな」と言っていた。腹をパンパンにして徒歩にてようやく帰宅。

日曜の午後はJOJOの5部を観ながらただただぐうたらしていた

2021/12/4-2021/12/5

金曜が深夜いやほぼ早朝まで起きていたせいか寝たのは12/4になってしばらく経ってからだった。泥のような眠りを貪るのかと思いきや、8時ごろに目覚める。そう、年をとり寝る体力がない状態で寝ると数時間後に起きるのだ。

そしてすっきりしない身体を引きづって活動をはじめること数時間、この数時間で多少体力が回復する、その体力を使って布団に滑り込み、再度の入眠を試みるわけだがそんなにうまくいくものでもない。しょうがないので、観てない録画番組やJOJOを観る。漫画で読んでた徐倫のアニメを数話観るも上記のことからアニメを見続ける集中力の源の体力がなく3話程度観てからウダウダしていた。

もう立ち上がるのも面倒で昼は家人が外に出るついでにアイスとカップ焼きそばを購入してもらってそれを食った。日清の焼きそばが好きで定期的に喰っているのだが、なんだろう。同じメーカーで同じようなデザインなのにカップに入ってる日清焼きそばより袋に入ってる日清焼きそばのほうが旨い。言葉では言えないニュアンス的なものかもしれないけど、袋焼きそばのほうが旨いと感じてしまうのは小さい頃、学校が昼までの土曜の帰宅後に父親がたまに袋焼きそばを作っていたのが思い出として脳に残っているからかもしれないな。とか考えている。

ただ父親の作る焼きそばは袋焼きそばにキャベツと豚小間切れを足すという形で作られていたのだが、個人的には何も手を加えず、日清さんに提供されたものだけで作るシンプルなやつが一番うまいと思う。これは父親が作っていても思っていたことで本人にも伝えたことがあるのだけれども決してキャベツと豚小間切れを抜くということはしなかったので、自分で初めて袋焼きそばを作って食したときの「ほら、やっぱりこれが一番旨い」という脳の経験が残っているからかもしれない。

カップ焼きそばを食って尚入眠を目指して布団でウダウダしていると妹がやってきた。妹は実家から送られてきた蜜柑の受け渡しが終わると帰宅すると聞いていたのだが、帰宅する気配を一向に見せない。家人もどこからともなく茶菓子をもってきてコーヒーを淹れ、長居確定の様相を呈している。

家人と妹は変に声が通る。二人で笑いでもしたら、TVからの音は聞こえない。笑わなくてもTVの音は非常に聞きにくい。ということでTVは役に立たず、ただただ入眠を待つしかなかった。

そして待望の入眠。おそらく13時半くらいだ。起きたら16時であった。そして妹と家人はまだ話すことがあったのか話を続けていた。なくなったコーヒーと茶菓子に時間の経過を感じる。17時ごろに妹が帰るというのでそのタイミングでプロマートに買い物に出かけた。肉や野菜を購入し、会計をしようとしたら美味そうな弁当が半額になっていたので、晩飯をそれにした。

すきやき重と韓国風鶏肉調理の弁当。喰ったらやっぱり美味かった。そして就寝。

日曜も朝からウダウダを繰り返していた。本日はduoで岩国へ。

13時過ぎに家を出て、横川駅を13時50分に出る電車で岩国へ。14時半ごろかな?岩国に到着。改札でsuicaが使えた。駅が小奇麗になっていた。

そして明日12/6の早朝6時に新しいキオスク?(ほぼセブンイレブン)がオープンとの記載があった。明日か。と感慨にふけりつつ移動。到着し、中に入ると何故か2年ぶりくらいに会う武部がいた。

武部とはTAKEVEZのボーカルでバンド内で権力を持たない象徴みたいな人物で男性版のほんまもんの不思議ちゃんといった人物である。道端を歩いていてフライヤーを見つけて入ってきたという。何故入る?不思議だ。そしてリハが終わってサイコメトラーEIJIをamazon kindleで読んでいると武部の連れ合いがやってきて「ライブを観て帰ろうと思っているが、酔った武部が眠いからお家に帰りたい」と言っているなんとかならないか?と相談を受けたのでなんとかすることにした。

結果、なんとかなったものの武部は終始眠そうであった。武部を起こした後、せっかくなので、岩国のソウルフード「すえひろラーメン」を食す。

すえひろラーメン

以前食べたときより非常に美味しく感じた。味の好みが変わったということはそれだけ時間も流れたし、歳を重ねたということなんだろうね。と家人と話しながら「うめぇ、うめぇ」とラーメンを腹に流し込んだ。

モジュララ
Hydrogens
AFTER EFFECT+3号

自分のライブは最近あまりなかったトラブルの連発であった。ループでギターの音が出なくなったら地獄だな。という学びがあった。もうどうしようもない。うーむ。原因は割とすぐに判明し、ループのボタンを押したタイミングでケーブルが一本外れていた。こんなことで地獄に落ちることができるなんてループは茨の道だな。と思いながら、仕切り直してみると、これまで練習でもズレたことのなかった家人のドラムが大きくズレた。

あとから家人に聞くと、「リハよりギターアンプがドラム側に向いていなかったけど、返し(欲しい音を返してくれるスピーカーね)があるので大丈夫か。と思ってたけど、3曲目はダメだったね~。1曲目で聞こえづらいのはあったので、その時に演奏前にでもギターアンプの角度を変えればよかった」と反省の弁を述べていた。

良いものが出来ずに残念ではありながらも、これもライブ。また反省を活かして成功を目指せばよいな。と思いつつ悔しい感じであった。

ライブにはshiNmm、ayatoの学くんも遊びにきてくれており、これもまた悔しさを増したね。いろいろ自戒や反省をしながら、noisegoatのライブを観ていた。

noisegoat

noisegoatは音が大きいバンドでありながら、丁寧な音作りのバンドさんだった。「ベースの役割はここね。」「ギターの役割はここからここまで」みたいなものがちゃんと決まっていて轟音ながらnoiseが最適で必要十分な音量で耳に届くのでちゃんとしている。音楽性も相まって海外廻ってるバンドさんなんだろうな。と思ってあとで聞いてみたら、やはりみんなに海外でやればいいのに。と言われてるし、音源も海外のレーベルからのお声もあるみたいだったけど、ライブのお誘いがあるところがクレイジージャーニーハイパーハードボイルドグルメリポートに出てくるような地域からのお誘いらしくライブに伺うのは逡巡していると言っていた。あとnoisegoatのベースさんがこないだ難波bearsでayatoのライブを観ていたらしく学くんに声をかけていた。こういうのって旅っぽいし、バンドマンぽいし、いいよね。と傍から眺めながら思っていた。

少しの時間だったけど出演者のみなさんともいろいろお話できて楽しかったな。また、ゆっくりとまではいかないものの学くんとも近況を交換するくらいの会話が出来てよかった。僕の地元と学君の地元が一緒ということもあるので、年末くらいにタイミング合わせて鍋でもできればいいね。と話しながら別れた。

そして終電に乗り、広島へ帰宅。音漏れにしてはハッキリ聞こえるくらいの音量で音楽を嗜んでいる後部の人がいるなぁと思いながら、サイコメトラーEIJIを熟読していたら、いつの間にかハッキリ聞こえるくらいの音量で音楽を嗜んでいる後部の人は消えていた。すると俯いてた家人から「おい、お前、あれ音漏れってレベルじゃなかっただろ?顔見たか?顔」と問われたので「いや、見ていないよ」と告げるとつまらなそうに「ふーん」と言っていた。

駅からタクシーで帰宅。家の目の前までギリギリメーター変わらずイケる。とふんでいたら、最後の最後でピッと上がった。