2021/5/29-2021/5/30

最近はライブがない。決まっていても延期や中止になってしまう。ま、しょうがない。日本は国内中そうだからね。全ては国民のせい。老害に政治を委ねた結果、ろくでもない日常を送っている。若い人に政治を任せたいと思っても選挙に行ってその人を国政に送らなければ何も変わらない。そう、ほかの国の若い政治家は国民が生んでいる。日本は生んでない。それだけ。それが今の飲食店の喘ぎを生み、データに基づかない自粛をさせられ、後ろ盾の観光業界に金を落とす策を講じようとしている。そしてオリンピックは電通とパソナに金が落ちる。変えれるのは国民しかいない。けど、選挙に行かずに文句だけを垂れる。ふう。そろそろ変わらないとね。

で、土曜日。朝から20人前のカレーの仕込み。そう今日はヲルガン座にて18時よりカレーを提供する日。高校生のときの初ライブみたいな気持ち。バンドは20年続けると、人にどう思われるかも大事だけど、自分が良いと思うものをちゃんと作れているのか?が大事だということを口だけじゃなくて気持ちで理解できていると思っている。ただカレーは初舞台だ。人の評価が気になって気になって仕方がない。音楽の批判には多少慣れていてもカレーの批判には慣れていない。ビビる。ビビる。そう、そもそも気がそんなに大きくない。デフォルトがビビり野郎だ。

なので、前日から鶏肉をヨーグルトと塩麹につけて、まずは時間という味方をつける。時間とは素晴らしいものでそれだけで旨味が増したり、柔らかくなったりする。朝8時より玉ねぎを都合8個程度処理。炒め方がちょっと異なるので、4個づつ処理。時間が倍かかる。そこから2種類のカレーに分岐。今回はバターチキンとチキンコルマの2種に決定した。バターチキンはスタンダードのものが必要と思ったことと、いずみさんに誘われたときに気になると書いてあったからだ。あと、前に五日市のスパイスカレー屋さんのカレーを喰ったときに妙にクローブが効いてて、以前ネットで読んだ日本人はクローブの香りが好きということを思い出していたので、今回のバターチキンはクローブ強めで作ってみることにした。もうひとつのチキンコルマは以前ヲルガン座のカレーイベントでドベをとったときに1位だった山広ちゃんのカレーを食べたらクリーミーだったので「そうか、社会はクリーミーを求めているのか。クリーミーこそ民意」とわが事得たりという学習をしていたので、今回はチキンコルマは社会と握手するのに必要なカレーだ。と思っていたのでチョイスした。バターチキンはクミン、コリアンダー、ターメリックと基本に忠実に作成したつもりだ。チキンコルマはクミンと大量のカルダモンという厳選のスパイス2種で作成。10人前づつを作ったつもりだったが、結果17人前しか取れなかった。これはどうやら皿が大きかったこと、店に立つと高揚して多めに注いでしまうこと、根本的に作る量が少なかったことに起因するっぽいと分析している。あと、注文が入るまでの保温としてカレーを超弱火にかけていたのだけれども、超弱火であろうとも数十分、火にかけ続けていると水分が飛び、味が濃くなっていくことを学んだ。提供途中でこのことを学んだので途中から水を差して、塩を調整し味見をするということを何度も何度も行った。味見で太るとはこういうことか!と思ったけれども今、考えると違うかもしれない。

カレーは皆さんの気遣いもあり、開始60分程度で提供終了。売り切れとなった。ありがたい。ありがたい。

提供後、食べてくれた皆さんと話していると割とみんなツイッターを見てくれていて、現在研究をしている「ほうじ茶カレー」が提供されるものと思っていた方も多かった。早めにほうじ茶カレーも完成させなければ。と心に近い次の日から更に研究に熱が入った。ほうじ茶カレーが完成した暁にはまたヲルガン座でカレーを出させてもらいたい。バンドのライブがないとほうじ茶カレーの完成を目指す。どうやらこれが自分のスタイルらしい。不思議な組み合わせだな。と思うけど、ま、これが自分なのでしょう。

はじめて大量のカレーの提供をしてみて、本当に学ぶことが多かった。今回、お店を想定して原価のことなんかも考えてみたし、提供スピードや盛り付けや辛さのリクエストのことなんかも考えていた。が、米が足りなかったら…とか皿を洗う。とか注文がもし複数あったら…とか想像が足りていないところもあった。あと調理器具や火力などもっとこういうのがあれば…とかもっとこうしたら…とかの発見もあった。

いろんなところでカレーを出してみたいなぁと思っているので、どこかで機会があればみなさん誘ってください。あと保健所の衛生責任者のやつを取りにいこうと思った。

チキンコルマとバターチキンのあいがけ800円

空の容器をもって十日市から家まで歩いて帰った。手伝おうと思ってきていた家人とカレーの反省会をしながら帰宅。

翌日はずっと家でネットフリックス。と思っていたら、昨日の疲れがでたのか見ながら寝てた。夕方に起きて、またカレーを作る。先日いろいろみんなから聞いていたほうじ茶カレーに対するアドバイスや提案を実践してみた。結果は芳しい方向ではなかったけど、大量に作ったので1日置いて追いほうじ茶をキメてみようと思い至り、冷蔵庫に余ったほうじ茶カレーを入れて就寝。

2021/5/22-2021/5/23

数か月前の予定では土曜は大阪へduoでライブへ行く予定だった。もちろんこの状況を踏まえて、延期となった。
延期なので、振替の公演はある。振替は8月の予定となった。振替になったことで4人編成で行けたり、新しい曲が出来るなどメリットも多いと考えて粛々と繋げていけたら良いな。と思う。23日も広島で野外ライブの予定だったが、こちらも延期。
広島の場合、行政は緊急事態宣言下といえども、5000人以下のイベントはOKとしてるので、やってもいいよ。とのこと、天気も梅雨の合間の晴れ。
主催者の判断での延期となった。この時期はこれで良かったのではないかな。と思う。ただ次の予約を入れるために行政から許可を取り、問題なく使用したという前例が必要になるため、音楽などを流してイベント自体が開催する運びとなったようだ。行政の前例主義のために開催されなければならないイベント。主催者も本意ではないであろうけど、
これが広島行政なのでしょうがない。
そういえば以前、宇品で野外イベントを行おうとして港湾なんとかってとこに連絡したときも「あなたに貸した前例がないので、お貸しできません」と言われて、「誰でも最初は前例ないだろうが。お前らバカか?」喧嘩したことがあった。
多分もう10年くらい前だ。そして、そのオチが「行政の主催するイベントなどに出演などして前例を作ってください。」って言われたのであった。やっぱ組織って変わらないんだね。と思い、諦めと感慨が深まると共になんで同様の比率で税金払ってて、借りれる奴と借りれない奴がいて、それを税金使わせていただいてる側が上から判断しとんじゃ。ボケ。と10年前の怒りが再点火しそうであった。思い出し怒りやね。

いつかの広島

ということで、土曜は先週からずっと観ていた「東京喰種」のアニメを最後まで観る。


3部構成で面白く楽しめた。人間と喰種が共生するために必要なことは喰種が人間を食べなくなることだと思うので、戦闘を続けるよりは「喰種食肉センター」を設立し、喰種が食べれる疑似人肉、疑似血液の研究を進めることにより、まずは自殺者を主食としているなるべく人間を食べたくないと考えている喰種の食生活を変更していく。
基本的に人間を食べたくないと考えている喰種であることから、ある程度の協力も考慮に入れれると思うので、次は美味しい疑似人肉、疑似血液の研究を進める。
男女差、年齢差、半喰種、半人間などどうやら味に大きな違いがあることは描かれているので、喰種好みの味を協力的な喰種に味を見てもらいながら、疑似人肉、疑似血液の完成を進めていく。最終的には「人間喰うより、楽で美味い!疑似人肉カネキ」が完成し、
人間を殺すことに快楽を覚える以外の喰種は全て疑似人肉を主食にする。
そして快楽を覚える喰種は駆逐する。
すると、人間と喰種にとっての平和な世界が訪れる。
ここまで記載して気付くが、これは多分正しいけど、話が面白くないという致命的な弱点に思い至り、考えるのをやめた。
それぞれ失ってばかりの話だった。憎しみを止めるのって難しいよね。

その後、「東京喰種」の映画も観てみようと思ったものの、千眼さんが出演する前に頓挫。録り貯めていた録画番組を観る。
探偵ナイトスクープ、クレイジージャーニーなどを観る。探偵ナイトスクープは緊急事態宣言下の対応なのか、総集編であった。
総集編は覚えている内容も多いものの、流石のクオリティで満足だった。
「亡き夫の釣り竿でクロダイを釣る。」
「大川栄策の前歯を観る。」
「23歳で亡くなった友達の埋めたタイムカプセルを掘り起こす。」
喜怒哀楽でいうと、「哀楽哀」であった。
釣り竿の話は覚えてなかったが、残りの二つは覚えていた。
この歳になると23歳で亡くなった自衛官の家族のことを思うとそれだけでグッときてしまう。途中2020年8月に撮られた動画が流れるシーンがあったのだけれども、本当にちょっと前まで普通にそこら辺の若者として存在していた命が数か月後にはもう無い。と思うと、妙な死へのリアリティを覚えた。
クロダイの依頼者も2回目の依頼ということで、以前、娘さんの依頼時に亡くなった旦那さんの映像が映された。旦那さんのTV出演時、既に余命はほとんど尽きていたそうだが、そんなことを全く感じさせない家族愛溢れた映像であった。
事実を知ってから観る映像は家族が明るければ明るいほど、観る者の涙を誘うような代物であった。が、家族はそれを昇華し、楽しい映像を遺してくれてありがとう。と探偵にお礼を言っていた。探偵ナイトスクープは命さえ笑いと共に繋ぐのか?とか感極まったところで、「んなこたぁない」と考え直す。
でも、素晴らしい映像を遺す番組だなぁ。

クレイジージャーニーはやらせで急に番組が終わってしまったので、コロナ前に撮影されたお蔵入り映像が陽の目を見る回であった。
クレイジージャーニー後にハイパージャンクフードレポートだったかな?テレ東かどこかの局の食事に焦点を当てたクレイジージャーニーなんかも観てて面白いな。と思ってたけど、やはり元祖はクレイジージャーニーなんだな。と思う出演者と映像であった。ただ途中でお昼寝を始めたので後半部分はもう一度
観なくてはなるまい。

土曜は昼は近所の焼肉屋のデリバリー、夜はカレーと小学生の誕生日のようなメニューであり、両方とも美味であった。

日曜は朝から映画。
前日にTwitterで偶然見かけて聞いてみたlindalindasというアメリカのアジア系のガールズバンドが結構好きだったので、更に検索してたら、ネットフリックスの「moxie!」という映画の挿入歌だということだったので、「moxie!」を視聴。差別をテーマにした映画で分かりやすい勧善懲悪であった。ま、差別なんて擁護するとこなんてないから、勧善懲悪になるよね。
そこでもフェミニストという言葉が出てたけど、最近フェミニストという言葉も差別の要因になってる印象がある。フェミニストもいろいろいるので、正しい権利の主張をする人もいるし、ビジネス的に乗っかってるだけの人などいろいろな人がいるだけなんだろう。とは思うけどね。


性差や肌の色、能力など差別の対象は様々存在するのだろうけれども、最後まで観ていて「我慢」という枷を自分の中でどうやって解消するのが、一番良いのだろうか?という問題を考えていた。分かりやすい差別以外にも
組織内の差別的扱いの忌避や意見することで伴う疎外感の忌避などのために誰でも「我慢」を選択することはあると思う。映画のように声をあげ、思考を示し、変革が望めるようなものもあれば、そうでないものもある。
ほとんどの人間に平等に降り注ぐ「我慢」をどうやって解消すべきなのであろうか。
闘って幸せになる人。忘れて幸せになる人。我慢して自分の中でつかない折り合いをつけたと思ってる人。諦めてる人。闘うことより、諦めるほうが楽な人もいるのだろうから、何がその人にとって良いかは人次第だと思うけど、差別が原因で死(いろんな意味でね)を選ぼうとするならば、今の回答を変えたほうがよいのかもしれない。と思い至れる
くらいの余裕は持っておくべきだな。とかぼんやり考えていた。

次にネットフリックスが出してくれる「これ観てたら、これも観たら?」みたいなリコメンドから「ザ・ゲーム 赤裸々な宴」を観始める。
フランス映画だった。ヨーロッパの映画はなんか言い回しもピンとくるものが少なくて割と退屈ってイメージだったけど、この映画もご多分に漏れず、最初は退屈であった。
しかし、一部屋の中で起こる会話劇ながら途中から展開も面白く、ギミックも効いてて最後まで一気に楽しめた。そうか助走というかアイドリングが長いだけなのか。とか1人で勝手に思い、納得した。
話は中年夫婦3組と離婚歴のある中年男性がそのうちの一組の夫婦の家で食事会を始め、
会話の中で全員の携帯電話をテーブルに置き、帰るまでに届くメールやメッセージをみんなの前で読む。というもの。そこからいろんな事実が発覚して…という感じ。
20秒の強制運動、携帯電話のすり替え、パンツを脱ぐ主婦、外すイヤリングなど緩急のついた会話劇で面白かった。

次にまたフランス映画「最強のふたり」を視聴。最後に実話だということを知り、世の中そんなことってあるんですねぇ。と思う。ネットフリックスの中でも評価の高い映画だけあり、面白かった。
ただ、なぜクロワッサンを毎日買ってこなければいけないのか?それだけが疑問であった。

その後、ヨルムンガンドというアニメを2期ぶっ通しで視聴。


これも面白かった。ヨルムンガンドは神話に出てくる毒蛇らしい。
最後のほうはもっと話を拡げたり、謎を深めて回収することもできるのではないか?要は最後に向かえば向かうほどお話が雑になってる感じがしたので、ちょっと調べてみようと思ったら、サジェストに「打ち切り」という文字があった。
作者が飽きたのか、人気がなくなったのか分からないけれども、作者自身の満足度が高い作品だったらいいな。と思った。
最後まで親子の確執の理由が分からなかったのが残念だけど、夢中になって一日で観てしまうほどの力があったので良かった。

日記というより観たもののレビューを書いてる感じだな。新曲どんどん溜まってるので、またどこかでライブをやるぞ。と思いつつ、就寝。

2021/5/15-2021/5/16

本来の予定であれば、土曜は広島平和マラソンに向け、参加者のマイルストーン的な意味合いを込めて、大芝の廻りを参加者全員で5~10キロ走って、BBQでもしようと考えていた日であった。
しかしながら、このウィルス侵攻を簡単に許してしまう政府の後手後手の対策、ウィルスは侵攻を緩めるわけではないが、1年以上という長期間の戦いですっかり慣れが生じてしまった国民。上から下まで余すところない怠惰が原因でこの予定はなくなってしまった。と書けば、国を憂う憂国烈士のように思えるが、「え、降水確率80%?」という衝撃的事実が木曜程度に判明し、「雨が降るから
延期ね」と天候が理由で延期となってしまった。そして、迎えた土曜はギリギリ雨が降ってない。
集合時間だった時刻を迎えてもギリギリ降っていない。
うーむ。

集合時間が11時だったのだが、10時から歯医者の予定があったので、9時半に家を出発。
10時前に歯医者についたのだが、土曜の朝なのに患者は少なかった。
検温を受け、一時期世の中を席巻し、大阪府知事の地位を貶める一翼を担ったといっても過言ではない「イソジン」でうがいをした後、治療開始。
歯を磨いていったけど、再度丹念に磨かれる。本日は舌足らずな喋り方をする歯科衛生士の資格がない先輩が担当。
先輩が丹念に磨いたあと、喋り方がチャキチャキの元ヤン感のある受け答えが特徴の後輩が機械を使って歯の掃除。
水をチュインチュイン出して舌の根元に溜まる水を定期的にガーと吸い取る。
先輩は補助的にその場にいてくれるのだが、そもそも目隠しをされて、横にされているので何をされているのか分からない。
もしかしたら先輩が定期的にガーと吸い取っているのかもしれない。
そして治療内容を書き出したら、なにやら風俗感の強い文章だな。と思ったのだが、そう思うのは僕一人ではあるまい。
もしそう思うのが僕一人だとすると、自己診断ではあるが、おそらく特殊性癖を自認しなければなるまい。
最終的にフッ素を塗布され、院長の最終確認待ち。
院長の最終確認のために待つ時間が一番長いことが多々ある。
院長はおそらく話好きなのだ。
そして歯科医になれるくらいの知能を有しているので、患者それぞれから聞いた患者の情報は忘れない。
あと、時事も大好きだ。
院長の最終確認待ち時に耳を澄ますと、今日はウィルス感染についておばちゃん患者に訥々と持論を展開していた。
イギリス型、インド型、患者数、重症者数、広島の感染数など会話は多岐に渡る。その間、横にされたシートの上でジッと待ちながら、院長の話を聞く。
漸く話が終わったかと思ったら、次は自身のターンで院長が会話。
「最近は演奏とかできるのか?」とか聞かれ、「ウィルスの影響でできん」と答え、「やはりウィルスの影響で…」と話題が再度ウィルスに移ったところで、院長のウィルスの持ち玉は前のおばちゃん患者で打ち尽くしていたようだったので、少し時間に隙間ができた。その一瞬に「広島の繁華街も大変そうですよね。やっぱりGW中に中途半端に一部だけ緊急事態宣言なんか出して締め付けたら、関所もない現代。制限かからないとこに移動して騒ぎますよね。
広島の感染拡大の一因はこういうとこだと思いますよね。」と帰結してる会話を差し込むと「そうよね~」と院長は納得し、「じゃ、口開けて」と確認作業に移った。
確認作業は都合20秒程度で終わる。ふう。
歯医者から出るとまだ雨は降っていなかった。そして、家を出る前に家人から
「お前の行く歯医者の近くにある菓子屋でこの菓子買ってこい」と
命じられていた菓子を買いに行く。確かに近くではあるのだが、帰路とは反対方向にある菓子屋に出かけ、フィナンシェを10個購入し帰宅。
購入時に「冷めたらトースターで温めたら良い」と店員さんに教えてもらう。
帰宅後、家人にスムーズに得た知識を伝えたが、「ふうん」とだけ言い、冷め気味のフィナンシェをまずはひとつと満足気に口にしていた。

昼に食ったラーメン

以後はずっとネットフリックスを観ていた。
結界師が終盤。黒芒に潜入していろいろしてた。味方の到着が遅いな。と思った。
で、主人公の母親は?と思っていたら、アニメが終わった。後で調べたら、漫画はまだまだ続いててその中で更なる謎や母親のことも出てくるらしい。

その後、だいぶ溜まっているであろう進撃の巨人のファイナルシーズンを視聴。
3部までの記憶もだいぶ曖昧になっている気がしていたけど、観始めたら思い出す。そして舞台が変わっている。グングンに世界に入ることができる。
そしてどんどんガンダムみたいになっている。という感想。
真実はひとつしかできないけど、正義は立場や環境でいくつも存在する。
その正義を貫くことは人を幸せにするのか?自分を幸せにするのか?みたいな感じ。
「おぉ」と手に汗を握って見てたら、そうやらファイナルシーズンは2部構成らしく、1部が終わった。2部は冬から始まるらしい。楽しみ。漫画を読んでいないので、なんとも言えないけどアニメの満足度は高い。
恐らくは良く描けているという評価などではないだろうか?と推測しながら、キングダムの3部などを観ていた。

日曜は早朝から練習。
新曲も適度に完成に近づいており、順調なのではなかろうか?2時間ほど一生懸命練習と新曲を詰める。スタジオの途中は雨が降っていたけど、帰りにはほぼ止んでいた。
帰宅後、出雲そばを喰う。
出雲そばがそうなのか?その店がそうなのか?不明だが、タレが濃い。個人的にはもう少し薄味でも美味いのでは?と思った。

あとは今週用のカレー用のグレイビーを作成。今日はグレイビー作ったら暑くて疲れたので、本日のカレー作りは家人にパス。家人は「指示待ちや。俺は指示待ち人間や!」と
指示を待っていたので、「今日はフェネグリークとマスタードシードとフェンネルを最初に入れてくれ」と言って、ソファーに座ってスマホを弄っていた。途中で「あ、こないだ豆乳買ったので、水150CCで5分くらい煮た後に最後に弱火で50CCの豆乳を加えてくれ」と指示をした。そして出来上がったカレーは優しいお味のカレーであった。
二人で食していると家人が「いやぁ、途中のスパイスを入れなくてもカレーだな」
と言った。ターメリックとコリアンダーのパウダーくらいは入れて、クミンのパウダーを入れるか?くらいの質問が来るかと思ってはいたが、おもっただけで、特に気にしていなかったら、指示がないので、家人はパウダースパイスを入れることなく調理を進めていた。おぉう。
でも、それなりに美味いのでカレーとは不思議なものだ。

カレーを喰った後、家人はアルフォートを喰おうとしていた。
何気なく、そのアルフォートを空け、何気なく口に運んでいたら知らぬ間にほとんどのアルフォートがなくなっていた。
離席していた家人が戻ってその惨状を見ると、少しはぶてていた。
その後、ナルコレプシンとパニックスマイルの配信を観て就寝。

ナイスなツーマン

2021/5/8-2021/5/9

広島でもウィルス感染が拡がり、この2日間はほぼほぼ家にいた。ウィルスに恐れる日々が1年以上も続くと人はそれぞれに考えを進化させるんだな。と思う。気にしないを進化、気にするを進化、人の目を気にするを進化と交わることのない思想が加速して進化している感じ。そしてそういった人々の思想を取りまとめ、指針を示し、ベストの方向を模索する役割を担うはずの上流工程である政治、行政、医療は枚挙に暇のない問題を目の前に思考を止めたのか、昭和脳で根性精神論でまだなんとかなると思っているのか、上に立っていながら自分の周囲のことしか考えれないのか、機能を停止しているような状態だな。と思う。オリンピックに医療者を派遣しようとしているあたり、機能停止より質が悪いような気もする。近く大学生などを中心に新日本政府みたいな団体が立ち上がり、旧来型の日本運営にNOを示す革命などが起きるのではないか?と妄想したりするけれども戦後、牙を抜き続けた結果、そんなことを思っても行動を起こせる世代というのはもう少し後になるのかもしれないな。とか思ったところで詮無いことだな。と思って考えるのをやめる。ま、やるなら自分でやらないとな。

この土日はネットフリックスで結界師を観るか、録画番組を観る。という過ごし方をしていた。土曜に肉がなくなったので、プロマートに肉を買いにでかけたくらいだ。プロマートで500円の割引券をもっていたので、意気揚々と割引を受けようと割引券を提示したところ、感熱紙の色が少し抜けていたのだが、レヂの店員がその感熱紙を凝視したのち、「これ、期限が切れてますね」と期限切れをこちらに通達。痛恨であった。
割引券を持ちつつ、割引を受けることは叶わないという圧倒的な失望感を胸に支払いを済まし、心で泣きながら帰路。ドラクエウォークの万歩計機能だけが1歩1歩を着実に刻んでいた。

家に帰り、来週分のグレイビーを作成。
最近は水を複数回加え、なるべく玉ねぎの粗みじんが溶け、粘り気のある濃い茶色の状態まで炒めるようにしている。こうすると玉ねぎを炒めた段階で結構な旨味が出てるので、調理時に水が少ないほうが旨味がダイレクトに伝わり美味い。そして使用する塩の量が少なくて済む。自分が作ってるカレーの調味料は塩のみである。この唯一の調味料を少量化できることはある意味少し高みに近づいている感を個人的に感じている。ただそれだけなのだけれどもなんか満足度が高い。自分の作る曲もなんかこういった拘りを持ち続け、広く多くの人に認めてもらえることがないのだが、どうやらカレーも同じ道を歩んでいる気がする。ま、でもこういう嗜好をもってるんならしょうがない。とりあえずは自分の好きや美味いを突き詰めよう。と思う。あと、カレーとほうじ茶の組み合わせをここ最近ずっと研究している。いるのだが、一向に自分が思っている香りがカレーに反映されない。ついにカフェインやテアニンなどほうじ茶の構成成分まで調べ始めたもののまだ結果が伴わない。ま、バンドなんて20年研究を続けても全く結果は伴っていないので、10日程度の研究なんてしていないのも同じだな。と思い直し、今日もカレーとほうじ茶を併せる日々を続けている。温度や淹れ方なども研究を続けているが、次はほうじ茶自体を変えてみようと調査。どうやら名古屋ほうじ茶というものが甘味が強く他のほうじ茶と少し違うらしいので、こちらを購入して一度カレーを作ってみようと思っている。

GWの三滝寺。ここ、はじめて行ったけどすごい良いとこだった。

2021GW

「光陰矢の如し」時間が過ぎるのは早いということだが、2021年現在、これは「GW矢の如し、出勤日亀の如し」が正解だと思われる。

今年もコロナがなかなかの猛威を奮っている中でのGWであった。顔見知り、SNS見知りの方々もちょいちょいとコロナに罹患した
方が出てきた。予防ももちろんだけれども、運要素も強くなってきたな。こりゃ。
というのが正直なところである。同じ場所、同じ空間にいたときの位置取り、風の流れ、会話の長さが全て影響すると思ったら、運の要素も強いだろう。と思う。

ま、全員罹患してクラスターで大騒ぎ。ってのもあると思うけれど。
だから、人と交わらない。というのは圧倒的に効果的なんだな。と理解をするところはあるけれども、そもそも人という字が人同士が支え合っている様子であり、明らかに字の段階で密だ。種々の経済活動、生産行動をしていくうえで人と協力して何らかを動かしていくという行為が必須となる方々が多く存在していることは自明の理かと思う。

その中でコロナに罹患したら、差別対象になったり、外出していたからだ!と糾弾されるという事態が個人でも組織でも社会でも至る所に存在しているのは恐ろしいことだな。と思う。未知の恐怖への対処として悪手この上ない。

ま、明らかに糾弾されても仕方ないという行動をとる人もいるから、この差別は
絶妙なバランスの上で肯定されるのだとは思うのだけれども、それにしてもコロナに罹患するより、人のほうが怖い。戦前やその前から何も変わっていない。もしかしてこれは本能なのか?ある程度、進化したいな。と思いつつGWへ突入。

今年は昭和の日から有給を取り、7連休。
基本的には家の中で過ごしたけど、数日は外へ出た。家ではネットフリックスと録画番組と作曲。作曲はちょいちょい素材が浮かんできて、スマホに動画でコードとメロを溜めていった。ひとつ、1メロで転調してサビっぽくなるという曲が出来て録音してみたのだけれども、後から聞いたら結構良い出来。
これは良いかもしれない。
今年のGWは4/23のかりそめ天国のBGMでblurが流れていたことがきっかけで土曜の朝からblurの曲を聴いていた。

blur 20年越しにその良さを知る。

全体的には昔から好みではないのだけれども、song2とか個人的にグッとくる曲も思わぬ多くてblurすごいなぁと20年の時を超えて
blurの良さを理解した。
そしてGWに作ったメロは妙に海外っぽいメロとなった。そう、すぐ影響を受ける。

ネットフリックスはほぼほぼアニメ三昧。
クロスゲームやDAYSなどスポーツ系アニメ
あだち充はいつ見てもあだち充のアニメだなぁ。と思う。主人公がいつもたっちゃんだ。そしてヒロインは南ちゃんかと思いきや、今回はショートカットの南ちゃんだった。でも面白い。見終わった後、MIXのアニメにも手を出したけど、1話を見終わった段階でもうネタが尽きてきたのか、複雑怪奇の設定だな。と思い、あだち充はここで終了。

5月に入った頃、S角と一緒に海田のワークマンに河童を買いに行った。いや、合羽だな。河童が買えるのならば、もはや想像上の生き物ではない。ただ途中通った猿猴という地域の祭りでライブしたとき、なんか町のキャラクターが河童だったことを思い出し、「いやいや、河童もありうるのか?」と思ったが、考え過ぎに違いない。もし河童売られていたとしても、購入者はほぼほぼ尻子玉を抜かれるに違いない。危険だ。

閑話休題

海田のワークマンで新品の合羽を購入した。S角はランニング用のスパッツなども購入していた。ワークマンを出ると停めておいた自転車が他の自転車と一緒に風に吹かれて倒れていた。そして川の向こうにスカートを舞い上げて女子高生たちが河原で大声を出していた。

in 海田

海田のワークマンを後にし、道すがらにあったシソと合流。シソは15時まで寝ていた。お母さん、あいつ怠惰な生活してますよ。シソ家でS角はクリアまでに72時間くらいかかりそうなゲームを始め、僕は東京グールを読み始めた。お互い時間がかかりそうなことを見たことがない黴が生息していそうな6畳間で始めてしまっていたので、途中でお互い止めた。そこからシソと買ったばかりのシソチャリを漕いで宇品へ。飯を食って帰宅。この日は温かったので半袖で出かけたのだが、帰りはカーディガンを着ていても寒かった。

途中の河原

次の日は家でずっとTV画面を観ていた。その次の日は家人が「誕生日にもらったゴディバのクーポンがアルパークじゃないと使えないので、アルパークにいくで!」と言うのでアルパークへ。せっかくゴディバのクーポンをいただいたので、チョコを…と思っていたけど、店内を見渡すとダッツ、いやハーゲンダッツより高価そうなアイスがあったので迷わずそれを6つ購入。無印に少し寄って、がんぼで飯を食って帰宅。その後はずっとTV。

起きたら晴れていた。この日は朝から登山。僕らの周りは誰かがやりたい。といったことをなるべく実現するようにしている。あるときS角が「僕、人生で一度は富士山登ってみたいんすよね」というので、みんなで「そうか、俺たちはS角がしたいと思っていることはなるべくかなえてやりたいと思っているよ」と答え、SCC(シモカドクライミングクラブ)がスムーズに結成された。

そして富士山計画が実行に移された。
そして富士山の山開きがまだ。という事実にたどり着き、尚且つ富士山って急に登れるものなのか?という基本的疑問にもたどり着き、SCCのメンバーが「まず近くの山に登ろうぜ」という非常に的を射たご意見をいただき、本日三滝駅から安佐南区のビバリーヒルズと呼ばれる住宅地まで登山をすることにした。

朝8時半集合。メンバーの一人は遠方からの参加で「次のバスに乗ると到着が8時33分になり遅刻なので、一本前のバスできた。」と7時50分から待っていた。メンバーの一人は近くなのに、8時31分の電車に乗り、8時39分に到着した。みんなとても人間らしい。

8時40分ごろに歩き始めた。三滝は高級住宅街があるらしく社員の血や涙の上に建っているのであろう大豪邸がいくつもいくつもあった。ゴルフ練習場にはマセラッティが停まっていた。世界が北斗の拳の世界になったら、まずはここに来て「ひゃっはー」と言おうと心に決めた。

三滝寺
天気はいい

登山はほぼほぼ初めてだったが、まぁ大丈夫だろうと高を括っていたら、しっかり山だった。急な斜面あり、岩場あり、難所あり。面白かったけど即筋肉痛が約束された痛みが太ももに走った。友達の息子も参加していたのだが、早々に疲れていた。が、さすが小学生。途中から元気を取り戻し、あとはずっと元気だった。隊列はS角ともう一人を先頭に進んでいたのだが、小学生が途中からS角のことを「山の神」と言い始めた。「なぜ?」と聞くと、「あの人についていくと道に迷わない」と言っていた。先頭の二人はヤマップという山歩き用の地図アプリを入れていた。そう、本来は山の神はヤマップである。
しかし小学生が嬉しそうに「山の神」と言っているのに現実を突きつけることもあるまい。と山の神の盛ったエピソードをいくつか披露してあげた。山の神S角はチャリのときでもそうだけど、先頭を行っていても絶対後ろを見ない。だから隊列を途中で引き離すこともある。今回はそれが功を奏し、小学生が「あぁ、山の神が見えなくなった。迷子になるよ。」というので、「そうだな。山の神は人間のペースには併せてくれないのでしっかりついていかないとな」というと必死に山の神を追っていた。

ヤマップいや山の神のおかげで予定より早い時間で到着。安佐南区のビバリーヒルズの豪邸を見ながら、友人宅という豪邸の外で肉を焼いた。その後、小学生が公園に行こうというので、全員で公園へ。そこで逃走者ごっこという名前の鬼ごっこをし、その後ドッヂボール。筋肉はもう限界を超えていた。小学生は逃走者ごっこのハンターを決める際に「ハゲがハンターね」と心無いことを言っていた。純真無垢とは恐ろしいものだ。

ヘロヘロの身体で安佐南区のビバリーヒルズから駅まで歩き、帰宅。即風呂に入り、就寝。

朝起きたら、もちろん身体がバキバキだった。起き上がると太ももが悲鳴を上げる。もちろんこの日は終日布団の中にいた。布団の中にいたら、GWは終わっていた。