職場の近くでの出来事だ。
私の職場はお台場の一角で、いわゆる観光地に近しい。職場の向かいではフジテレビ本社ビルのなんか丸い物体がキラキラと光っており、近隣の駅では年二回漫画のお祭りが開かれる、そんな立地である。
私にとっては見慣れた風景を、喜んで写真に撮っている外国人の観光客らしき人がいた。
その光景を遠めに観て、「こんな景色何が珍しいのかねえ」と、やや蔑んだ口調で言った会社員の人がいた。
私の普段の心象は、正直に言えば後者に近しい。おそらくその会社員の人もそうだったのではないかと思うのだが、こういう時私の感情の主たるものは、恐らく優越感だと思う。自分が見慣れているものが、相手にとっては珍しいものである、という優越感。相手が貴重とみなしているものが、自分にとっては大したものではない、という優越感。
これは勝手な想像なのだが、「観光客に対する地元民の優越感」というものは、それ程珍しい感情ではないのではないか、と思う。例えば、かつて新宿区に住んでいた頃、新宿歌舞伎町の看板の写真を撮っている観光客を見かけた時、私はやっぱり似たような心象を抱いた。
だが。その時は、妙に損したような感じを抱いて、私は観光客の人が写真を撮っていた場所に近づいた。優越感を一旦忘れて、写真を撮っていたアングルを眺めやった。
なるほど、改めてみると確かに壮観だ。
慣れ、というものは人間の目を曇らせる。例えばWeb上でとても綺麗な夕焼けの写真を観て、綺麗だなーと感動していると、ふと気がつくと見慣れた絨毯が同じ色だったりする。綺麗なものは案外あたり一面に散らばっているが、慣れた目からするとそれに気付かないものなのだ。これは勿体無い話だと思う。
とすると、「見慣れた景色を写真に撮っている外国人」というのは、そういった「見慣れた綺麗なもの」の存在を私に教えてくれる絶好の機会なのではないか。慣れに任せて優越感に浸っていると、それに気付くことが出来ないのではないか。
優越感は、それが誰かを傷つけない限り、別段悪いものではないと思う。優越感を得る機会は、それはそれで貴重だ。
ただ、優越感とトレードオフで得られるものがあるのなら、時にはそれを選択することも悪くないことなのではないか。「慣れ」というフィルターを剥ぎ取ってみるのも、時には悪くないのではないか。
別段一般化する気はない。私にとってだけの話ではあるが、たまには、観光客と同じ気分になって、見慣れた風景を見直してみるのもいいかも知れない。
そんな風に思った。
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ひとつ言えることは、従業員が過度に経営者目線を持つ必要はない、ということである。もちろん、仕事の意味や理由を認識することは重要なことだとは思う。ある程度は、自分事として仕事をしたほうが面白いこともあるだろう。しかし、あなたが今いる会社で働いているのは、いまその会社とあなたが契約関係にあるからに過ぎず、あなたがその会社を創業したわけでもなんでもないので、必要以上に自分事として捉え過ぎるとバカを見ることになる。会社が傾こうが、潰れようが、それはあなたの人生とは何ら関係がないことである。会社を立て直すためにあなたが身を粉にして努力する必要は無いし、そんなことをしても給料が劇的に上昇するわけではない。